2022.12.29 原発事故と甲状腺がん

出版社 幻冬社

発行日 2013年5月

価格  ¥838+税

著者 菅谷(すげのや)昭

著者略歴

1943年長野県生まれ。1968年、信州大学医学部卒業後、聖路加国際病院にて外科研修。1971年、信州大学医学部第2外科学教室に入局。1976年、甲状腺疾患の基礎研究のためトロント大学(カナダ)に入学。1995年12月、信州大学医学部第2外科助教授を退官し、1チェルノブイリ原発事故の医療支援活動のためベラルーシ共和国にわたる。首都ミンスクの国立甲状腺がんセンターや高度汚染地ゴメリの州立がんセンター等で小児甲状腺がんの外科治療を中心に、医療支援活動を行った。2001年、5年半に及ぶ長期滞在を終え帰国。長野県衛生部長を経て、2004年から長野県松本市長に就任。

本の紹介:kazu

目次

第1章 福島原発事故の被害は、現在進行形である
第2章 原発事故が引き起こす深刻な健康被害
第3章 甲状腺がんだけではない! 被曝によるさまざまな健康被害の実情  
第4章 二度と原発事故の悲劇を繰り返さないために

筆者は、1986年に発生したチェルノブイリ原発事故から約10年、爆発的に小児甲状腺がんが増えている、ベラルーシに5年間滞在し、小児甲状腺がんの治療に直接たずさわった。帰国後、松本市の市長を務めるさなかに福島第一原発事故に遭遇した。

その経験から、国民の命を守ることが第一命題とすべき、国がなすべきことは何か。

チェルノブイリ原発事故と、福島原発事故の対処を比べてまとめた、渾身の一冊である。

事故後2年過ぎた時点で発行された本書であるが、12年たった今、改めて、わが日本の原発事故への対応力のなさを実感させられる。

本書を読まれたあと、菅谷昭さんが、松本市長でなく、首相であったなら。と思われるのではないでしょうか。

〇原発事故は、放射線被害である。

自然災害は、復興に困難は伴っても、必ずもとに戻る日がやってくる。そこで暮らし続けることができる。

放射能災害は、放射線被曝や土壌汚染など放射性物質による環境汚染によって、最悪、暮らすことができなくなる。チェルノブイリ原発事故後、27年経ても周辺30キロメートルでは除染実施した後でも、人が住むことが出来ない状況。

〇情報公開の遅れが、被害拡大に

ベラルーシの知人は、「福島の事故が日本でよかった。日本は情報公開がしっかりしているから、国民に情報がしっかり伝わるから」と言ったが、日本の実態を伝えると「なんだ結局は同じですね」という話になった。

事故当時、事故状況を小出しにしたため、被害が拡大。

蔓延する「難治性悪性反復性健忘症」

いっとき「ワーッ」と騒いで、ほとぼりが冷めると「スーッ」と消える。「のど元すぎれば熱さを忘れる」のことわざを地で行く難病。しかも何度もぶり返す特効薬もなく治りにくい。

日本人は、国が「大丈夫」といえば、最初は疑っていても、次第に危機感が遠のいていくようだ。

ベラルーシの国民は違う。町中で、線量を測っていると、「どのくらいあるのか、真実を教えてくれ」と集まってくる。政府の発表は信用できないから、と自分と家族の命を守るために貪欲に真実を知ろうとする。

〇小児甲状腺がんの拡大

 子どもは大人の21倍、甲状腺を被曝する

事故から2年、18歳以下の若年者3人が子ども甲状腺がんを発症。高い確率で7人が疑わしいとされている。

福島県立医科大学 鈴木教授は「チェルノブイリで小児甲状腺がんが出始めたのは4~5年後でこんなに早く出るはずがない」ので「原発事故とは関係ない」と発表。意図的なのか、無知なのか。ベラルーシでは、事故後1年目から出ている。4~5年は急増した時期。

また、内閣府の食品安全委員会で、子どもが甲状腺がんになったとしても、たいしたことではない。と意見が出た。

チェルノブイリでは、肺への転移が多くあった。甲状腺をすべて摘出すれば、体内のホルモンを補うため、一生甲状腺ホルモンを飲み続けならねばならない。幼い子どもが手術を受ける際の苦しみや不安や、親の悲しみを思えば、悪性度の低さや、治癒率の高さを理由に、安易な気持ちで発言することは許されない。

〇原発事故後の対応

・ポーランドでは、チェルノブイリ事故翌日、大気の放射能汚染を確認。放射性物質の80パーセントが放射性ヨウ素であることがわかり、非常事態宣言を発動。

事故から4日目、すべての病院、保健所、学校、幼稚園に安定ヨウ素剤を配布。小児人口90パーセントを超える1000万以上の子どもに投与。さらに人口の25パーセントの700万人の妊産婦を含む大人にも服用。

・教訓を生かせなかった福島

安定ヨウ素剤を70万人分、各戸に配布したが、政府から「飲め」と指示がないので、待っている状態だった。緊急時に政府の指示待ちの場合ではないはず。

〇汚染土の処分方法

ベラルーシでは「汚染土やガレキは30キロメートルゾーン」の処分場に集めている。汚染されたものを広めてはいけない、という考え。

日本では、「これくらいなら大丈夫」とあちこちに分散と集合を図っている。

このままでは、日本を汚染列島にしかねない。

確たる除染効果が望めないと思われる20キロメートルゾーンや原発付近に集積しなければ難しい。

〇危険な内部被曝から、子ども、妊婦を守るために

内部被曝は、放射性物質を口や鼻から吸ったり、食べたり、汚染された土や雨などが傷口や粘膜から体内に入り、取り込まれた放射性物質が、放射線を発し、細胞や遺伝子などを傷つけ、病的状態が誘発される。

だから、子どもや、妊産婦は、汚染されていない地域に移住すべきである。

〇松本市の取り組み

福島原発事故以降、松本市では、放射線災害に備えた危機管理マニュアルを策定。安定ヨウ素剤も11万人分用意。

2011年11月から学校給食の放射性物質検査を始めた。

・食材の仕入れは、地産地消が基本
 ①松本地域産、②長野県産、③国内産 の順に行ってきました

・松本市の「こどもキャンプ」 一定期間きれいな空気のところに住まわせて、安全なものをたべさせ、体内に取り込まれた放射性物質が排泄させるため。

2011年夏から夏休みと冬休みに飯館村の小中学生を招き四泊五日の「信州まつもとこどもキャンプ」を開催している。

〇二度と原発事故の悲劇を繰り返さないために

原発事故は放射線災害である。税金を使うのなら実効性のあることに

除染は遅々として進まない。年間被ばく線量20ミリシーベルトで子どもを校庭で過ごさせることに政治家たちは痛みを感じないのか。

税金を実効性のある使い方にする提案

除染費用の一部を使って、国策として子どもや妊産婦だけでも一定期間、汚染のない場所に移住させるべき。一定期間きれいな空気のところに住まわせて、安全なものをたべさせ、体内に取り込まれた放射性物質が排泄されるのを待つ。

学校の統廃合で空いている校舎を利用して、学校単位で移住させれば、そのまま授業もできる。

妊産婦はコミュニティ単位で移れば、コミュニティが失われることはない。

なぜ国策として行うべきかと言うと

個々単位では、避難できる家庭とできない家庭がでてくる、同じ日本に生まれて同じ権利を持っているわけだから、同じようにしてあげるべき。実現するためには国策でやるのが一番

一方、40歳以上の住民は、まちという行政体を維持するために、仕方ないけど汚染地に住んでいただきたい。 まちが除染されて本当にきれいになった時に、こどもや妊産婦が、そのまま集団で戻ってくれば、以前の生活共同体をとり戻すことができる。

この提案、どうでしょうか。原発事故から12年。国は、早く原発事故地域に返そうとしていますが、現地のコミュニティはバラバラで、再構築は難しく、「帰りたい」と願っている元住民は減る一方。菅谷さんからの提案が、事故後すぐにでも実行されていたら、安全が確認された自治体から、順次復活できたのではないかと思うと、残念です。

2001年の菅谷さんの提案

チェルノブイリから帰国した2001年。福島原発事故が起こる10年前に三つの提言をしている。

  • もうこれ以上、新たな原発は建設しないでほしい。同時に現在稼働中の原発の安全性に万全を尽くしていただきたい。
  • 原発一基を建設するだけでも多額の国庫補助を要し、その他にも多岐にわたる負担を含め莫大な経費を必要とする、その財源を、代替エネルギーの火急速やかな開発に向けてシフトしてほしい。
  • いまの生活様式を見直す必要がある。例えば電気の使い方など、より一層工夫し節電等に努めるべきである。

今の政府は、菅谷さんの提案と真逆の原発推進に舵を切りましたね。 日本の安全を守るのか、破滅への道へ踏み出すのか。我々国民が試されています

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