2026.5.3 原発を止めた町

―三重・芦浜原発37年の闘い―

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出版社 ‏ : ‎ 現代書館
発売日 ‏ : ‎ 2001年9月1日
価格:2000円+税
サイズ‏ : ‎ B6 226ページ
著者:北村博司

著者紹介
北村博司(きたむらひろし)
1941年 三重県北牟婁(むろう)郡紀北町紀伊長島区新町に生まれる。同区古里在住
1963年 明治大学政治経済学部卒。
1975年『紀州ジャーナル』創刊。芦浜原発問題を中心に報道。
紀伊長島町議当選、合併後の紀北町議、現在通算九期目。
2001年『紀州ジャーナル」休刊。

著書に 「奔流ー浜口熊嶽の生涯」(紀州ジャーナル)、「芦浜原発はいま」(現代書館)、共著「紀伊長島町史」
紀伊長島町)、「反原発運動マップ」(緑風出版)ほか

本書は、1963年に建設計画が浮上した、三重・芦浜原発37年の闘いの中で、1986年に発刊された「芦浜原発はいま」の23年間の闘いの記録を引き継いだ、1986年から2000年までの14年間の闘いで、2000年に北川知事(当時)が県民の44%が署名した「三重県に原発いらない県民署名」81万人を受けて「白紙撤回」表明し、中部電力が計画を取り下げるまでの記録である。
凄絶な古和浦漁協の攻防戦を中心に、住民はいかにして原発に勝ったのか。

本書の構成は
第一部 芦浜原発の終焉(2000年2月22日)
第二部 白紙撤回への道(1994年11月~1999年)
第三部 古和浦漁協攻防戦(1986~1994年10月)

と現代から過去へ遡る構成となっている。

以下に本書を紹介する。全部を網羅することはできず、筆者が特に感じた所を中心に紹介する。

原発建設にあたっては、電力会社が国に立地計画を提案して、国が承認し、官民一体となって推進して建設することが、本書の随所に現れている。 この方式は、他の建設立地においてもほぼ同じやり方だと思われる。

本書からわかることは、原発建設をスムーズに行うため、国、中部電力(以下中電)はあらゆる手段を用いて、立地住民を懐柔する
1.お金バラマキ
2.工作員をつかって各戸を説得。原発ができれば、どれだけ潤うかを説いて回るPR活動
3.立地住民を推進派、反対派に分断して地方自治を破壊する。
  そのため、反対派つぶしの、謀略もいとわない。

中電から派遣された工作員
1991年には、紀勢町に12人、南島町に20人。その後増加されている

工作員の役割は、反対派をつぶして推進派へ鞍替えさせることにある

ある優秀な工作員:魚市場に座って、漁船の出入りを監視。船喫水の沈み方で、大漁か不漁か見当をつけ、船主の家にでかけ、魚の具合を話題にして、工作にかかるのである。

お金をばらまいて、賛成に寝返らせるのは国、中電の常とう手段

国は「交付金」、「補助金」の名目で、立地計画地に金をばらまく
中電は「預金」「預託金」「寄付金」「補償金」という名目で、金をばらまく

1963年原発建設が持ち上がった時、ほとんどの立地自治体が反対した。
しかし次第に推進自治体が出てくる。
芦浜原発が計画されている、紀勢町と南島町は、早々と紀勢町が推進に、南島町は反対にと別れた。

うずまく謀略

ハマチ養殖魚のかげりと、ハマチバッシング

1960年代に始まったハマチ養殖は、一気に生産量が伸びたが、全国的に生産量過剰となり、利益が出なくなった。そこに原発誘致の誘いが活発になる

85年、南島町古和浦の反対派漁民が逮捕される事件が起こった。逮捕するほどの事件でないのに、警察は顔写真から、現場写真まで用意していた。あきらかに政治的意図が見え透いた、反対派分断をねらった逮捕だった。

次に、マスコミを動員したハマチ・バッシングが起こる。東京のキーテレビ局が「恐怖のハマチ」報道番組を流した。この中でニセ南島「漁民」を登場させ「漁師は、養殖ハマチを食べない」と発言させている、さらに全国紙で獣医、八竹明夫に「警笛」を鳴らさせた。これに様々な週刊誌を動員して養殖ハマチを叩いた。

これで、ハマチ養殖漁民は経済的に追い詰められ、推進派を拡大させる大きな要因となった。
養殖ハマチ叩きの火をつけたテレビの報道番組で出てきたニセ南島漁民は、漁師ではなく、推進派の幹部だったことがわかり、「反対運動たたきのヤラセ」だったことが明確になった。

古和浦漁協の攻防

原発反対運動の急先鋒の古和浦漁協の原発推進派が力をつけて、攻防が続く

1990年4月30日の臨時総会を前に、古和浦で奇怪な事件が起きる。新左翼の「「革命的共産主義者同盟中核派」の機関誌が正組合員の家に送られてきた。組合員名簿にもとづくことは明らか。送られてきた機関誌はワープロやコピー印刷のもので、正規に印刷されたものではなく、中核派に確認しても「絶対にやっていない」と否定された。このころ原発推進PR雑誌に全国紙の論説委員が「芦浜の反原発闘争は、中核派が指導している」ともっともらしく書いていることから、この謀略ビラは、かなりの規模の組織が背景にあると考えられる。

1990年の総会でかろうじて反対派が主導権を死守したが、推進派は執行部を揺さぶり続けた

さらに、今度は、組合長や、反対派の有力者宅に次々と不審な宅急便が送り付けられるという事件が起きた。
また、反対派幹部の名を使ったカンパ要請書、共産党の原発問題専門家の講演会案内はがきといった、手の込んだ偽物がばらまかれている。

このような手の込んだ謀略を繰り返し行ってきた。

1993年2月27日の古和浦漁協通常総会で、推進派が多数に。古和浦漁協を推進派が制した。

このあと古和浦漁協を制した推進派は長く掲げてきた「原発反対決議」を撤回し、反対の旗をおろしてしまった。

推進派に転じた古和浦漁協は坂道をころげ落ちるように、中電にすり寄っていく。その姿は漁民の誇りである漁場を放棄して金まみれに染まっていく姿を見るようだ。


以下に古和浦漁協の行動を記述する
1993年7月26日 中電に大口預金要請。
同年10月7日 中電は古和浦漁協に2億5000万円預金
同年12月3日 海洋調査検討委員会設立を決め、中電に資金協力要請
同年12月15日 漁協推進役員と中電の間で資金協力の覚書交換
同年12月16日 中電、古和浦漁協に「海洋調査補償金前払い」2億円入金
同年12月18日 古和浦漁協役員会、正会員に一人100万円仮払い決める
同年12月24日 古和浦漁協、南島町原発反対対策協議会から脱退。

1994年2月25日 古和浦漁協通常総会、推進派「原発反対決議」撤回動議、99対78で可決、推進派拡大。屋上の「芦浜原発絶対阻止」の旗おろす
同年3月4日 古和浦漁協海洋調査検討委員会ら、中電招き、初の海洋調査勉強会
同年11月18日 古和浦漁協、中電に海洋調査申し入れ促す
同年12月28日 古和浦漁協臨時総会 海洋調査受け入れ、112対96で承認。中電と協定、補償金2億5000万円、協力金4億円。
1995年2月26日 古和浦漁協通常総会。補償金、協力金一人300万円配分、130対64で承認
同年10月30日 古和浦漁協、原発関連補助金2400万円、中部通産局に交付申請。
同年12月28日 古和浦漁協臨時総会。通産省「電源立地地域温排水等対策補助金」受け入れ。

古和浦漁協の状況に応じる如く、他の漁協にも中電からの補償金・協力金名目で資金提供が増えてくる。

同時期に原発反対運動も変化を遂げていく。

1994年11月30日 中電が抜き打ちで古和浦・錦漁協に海洋調査申し入れ。これに反対派が終結、実力阻止を掲げ町ぐるみ反対組織「南島町芦浜原発阻止闘争本部」が町長を本部長に発足
同年12月7日南島町闘争本部、2800人を動員、県庁にデモ。

1995年 南島町以外のまちで、反対運動が活発に
同年1月8日長島町急きょ臨時総会、「原発反対再確認、海洋調査反対」方針承認。
同年2月5日 紀伊長島町長選に返り咲いた町長「在職中は、芦浜所有地売らぬ」
同年2月22日 紀勢町住民グループ「住民主権の会」2306人の署名「原発町民投票条例制定陳情」提出

同年3月24日 南島町議会。環境調査対象の町民投票条例制定。原発建設、事実上不可能に。
同年11月12日南島町芦浜原発阻止闘争本部、「三重県に原発いらない県民署名」各地で開始

1996年5月31日 「三重県に原発いらない県民署名」が81万2335人に達し、稲葉闘争本部長ら「芦浜計画の破棄」求め北川知事に提出

2000年2月22日 三重県議会で北川知事「芦浜原発計画を白紙に戻す」と表明。これによって中電 太田社長が「芦浜原発計画断念」を表明。37年目の終止符。

by kazu

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