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出版社 : 彩流社
発売日 : 2016年5月16日
価格:1900円+税
サイズ : B6 225ページ
著者:七沢潔
著者紹介
七沢潔(ななさわ・きよし)
1957年生。1981年早大卒後NHK入局、
ディレクターとしてチェルノブイリ、東海村、福島などの
原子力事故を取材。
主な作品に「放射能食糧汚染~チェルノブイリ2年目の秋」
(1987)、「原発立地はこうして進む~奥能登土地攻防戦」
(1990)、「チェルノブイリ・隠された事故報告」(1994)、
「東海村臨界事故への道」(2003)、
「ネットワークでつくる放射能汚染地図~
福島原発事故から2カ月」(2011)など。
現在はNHK放送文化研究所上級研究員。
著書に『原発事故を問う』(岩波新書1996)、
『東海村臨界事故への道』(岩波書店2005)、
『ホットスポット』(共著・講談社2012)など。
論文「テレビと原子力」(『世界』2008.06-08)で
科学ジャーナリスト賞受賞
本書は、著者が1986年のチェルノブイリ原発事故を皮切りに原発報道に携わった25年の中で各地での講演内容、論文を含んだ記録のまとめたものである。
文章の中で、著者が被災した市民の生活にそそぐまなざしを感じることができる。
原発に関心をお持ちの方にぜひお勧めしたい
Ⅰ部 3.11から5年では、福島原発事故を中心にしたテレビ報道を
Ⅱ部 3.11までは1950年代からのテレビの原発報道をまとめている。
テレビと原子力はアメリカの対日戦略の中でアメリカが持ちこんだもの。。
テレビは、日本が共産国家にならないよう、アメリカに好意的日本人を作るため、原子力は、ビキニ環礁での水爆実験で第5福竜丸をはじめとする多くの漁船が被曝し、死者が出る中、日本で一気に核兵器禁止運動が盛り上がり、これを抑えるため、原子力の平和利用と銘打って原子力発電を持ちこんだ。この中心となったのが、読売新聞の社主、正力松太郎でアメリカのエージェント(代理人)と言われるほどアメリカべったりの人物だった。1953年にNHKがテレビ開局して、わずか6ヶ月後に正力がつくった日本テレビが開局。テレビでの原発の宣伝が大々的に行われた。この部分は本書の第6章 「原子力50年 テレビは何を伝えてきたか」に記述している。
著者の七沢潔が最初に取り組んだ原発番組は
1987年NHK特集『放射能食料汚染――チェルノブイリ・2年目の秋』
1989年NHKスペシャル「今、原子力を問う」 3本シリーズ
3本目の『推進か撤退か――ヨーロッパの模索』を担当。スエーデン、ドイツを取材。
このとき、すでにこれらの国では、地球温暖化と放射性廃棄物の問題を環境負荷の要素として考慮し研究していたのが印象的だった。
この段階でプロデューサーが発した「自然エネルギーが期待できるような描き方はするな」と言われ、違和感をもったそうだが、すでに国策の原発に不利になるような作品はつくるな。とくぎを刺されているのである。
1990年ドキュメンタリー90『原発立地はこうして進む――奥能登土地攻防戦』では電力会社が進める立地交渉の実態を探る。は、2024年の能登半島地震で注目された珠洲市に計画されていた原発をめぐる誘致賛成派と反対派の攻防を描いている。
本書の著者 七沢潔は2025年に「原発を止めた人びとー奥能登・珠洲 震源地からの伝言」を出版している。
この番組で、数々の賞を受賞したが、著者と担当プロデューサーは関連会社へ出向させられた。このときNHKの経営委員に電力会社の幹部が入っていたためである。
2011年3月福島第一原発事故が起こった時、放送の現場を離れていたが、友人から番組制作の応援を要請され、3月15日早朝、測定器をもって福島に向けて出発。
原発から190km離れた常磐自動車道の守谷SAで通常の50倍の空間放射線を検出。北風にのった大量の要素31,テルル132などの放射能が東京、横浜にも到達しようとしていた。
原発から50kmの三春町では原発から3.5kmのところより高濃度の汚染を検出。
政府の情報統制で、放射能測定状況が伝えられなかった住民は「棄民」とされ、高濃度ホットスポットの地域に避難していた。
福島原発事故後、最初に現地入り、取材したETV特集 『ネットワークでつくる放射能汚染地図』は大変な反響だった。
多くの視聴者にとっては、報道各社の自主規制によって伝えられなかった原発から30キロ圏内で起こっている出来事が映像によって語られたためだろう。
福島原発事故で、政府が何度も口にした「ただちに影響はない」はチェルノブイリ事故でも使われた言葉。放射能による被ばくの影響が表れるのは時間がかかる。政治家にとっては、目の前の秩序が崩壊するほうが政治的ダメージが大きいため、国民の命、健康より、政治的秩序を守ることが大事ということ。
NHKが放送した番組への反響の大きさに、他のメディアの報道がいっきに活発になった。
もう福島以前には戻れない。と思ったものだが、そうはいかなかった。
原発事故直後、沈黙していた原発推進の原子力ムラが早くも2012年明けから反撃開始。
原発報道への逆風が吹き始める。
2012年1月 NHK会長あてに1通の手紙。エネルギー戦略研究会会長を代表とし、原子炉メーカー、電力会社、原子力学会員など科学者、技術者99名の賛同者が「NHK総合テレビ追跡!“真相ファイル番組(2011年12月28日放送)『低線量被ばく ゆらぐ国際基準』への抗議と要望について」というタイトル。
言わんとしているところは「除染と避難者の帰還」による問題解決を目指す国の政策に反する報道でけしからん。と恫喝しているに等しい。
この手紙をNHK会長に送り付けた102名は「原子力ムラ」の住人の名前が多かった。過去原発番組のたびに誰かに動員されたかのように連盟の手紙やメールを送り付けてきた「常習者」たち。今回もバックにこのアクションを企画した人間がいて、メディアに反撃の狼煙を上げようと謀ったものと思われる。
操作された「記憶の半減期」
筆者が大学のシンポジュームで、「放射能の物理的半減期に比べて、人間の半減期は短い」と指摘したことが、福島原発事故でもこの予言があたった。
テレビ番組の原発関連放送が、2011年に166本あったのが、2012年に113本、2013年には109本の減り方が事故の記憶の風化や記憶の半減を象徴している。
記憶の風化や半減は必ずしも自然に起こるものだけでなく、政治的行われる「操作」の結果でもある。
「権力」によるメディアコントロールは、事故から1年もたたない2012年1月ころから企画され、2014年の暮れをもって完成したと推測している。
そして福島原発事故で54機すべての原発が停止したが、わずか5年で、原子力規制委員会が新たに作成した”新基準”に適合したとして、2015年8月に九州電力川内原発1,2号機が、2016年1月に関西電力高浜原発3号機が、2月に4号機が再稼働した。
まともな事故の検証もなくである。
※2016年3月時点で、15基が稼働中。
第Ⅱ部 3.11まででは
テレビが伝えてきた、原発報道をNHKアーカイブスの分析で検証している。
初期の1950年代から1960年代までは、「テレビの父」「原子力の父」と言われた正力松太郎が主導して、テレビを使って、夢のエネルギーと原発を盛んに宣伝した。原子エネルギーで空を飛び悪を懲らしめる「鉄腕アトム」はヒーローだった。
1970年代にはいると、原発列島化した各地で、環境問題がクローズアップされるようになる。反対運動が各地でおこり、該当地域のテレビが報道するようになる。原発が出す温排水で魚への影響、放射性廃棄物の影響、なにより頻繁に起こる原発事故への不安。
そして、1986年のチェルノブイリ原発事故、1999年の東海村臨界事故と大きな事故が重なり、テレビも特集を組むことになる。
by kazu


