2026.5.15 原発をとめた人びと

奥能登・珠洲 震源地からの伝言

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出版社 ‏ : ‎ 地平社
発行日 : 2025年12月2日
価格 : 1800円(税別)
サイズ  : 四六判並製、240ページ、
著者:七沢潔

著者紹介:
七沢 潔 (ナナサワ キヨシ)
1957年生まれ。ジャーナリスト。中央大学法学部客員教授。NHKディレクターとして主に沖縄、原発、戦争に関するドキュメンタリー番組を制作。テレビ番組に「原発立地はこうして進む――奥能登・土地攻防戦」「ネットワークでつくる放射能汚染地図 福島原発事故から2カ月」。著書に『原発事故を問う』(岩波書店)、『テレビと原発報道の60年』(彩流社)ほか。

もしそこに原発が完成していたら――
2024年1月の能登半島地震で被災した珠洲市は、かつて原発の立地計画を住民運動が撤回させていた。原発が予定されていたのは、まさに震源地だった――。最悪の事態を防いでくれた先人たちの取り組みを再現する、現地取材によるドキュメント。
反原発の住民運動が日本を救った!

もくじ
第1章 孤立集落の連携プレー
第2章 保守の町の「市民革命」
第3章 選挙、選挙、選挙――それは民主主義の学校だった
第4章 侮れなかった金の力――土地と人の心をめぐる闘い
第5章 「分断」の際で暮らす
第6章 守られた県知事の「約束」――政治カードになった原発
第7章 過去と未来からの警告

留守電話に「西日本を救ってくれてありがとう」「私たちの命を助けてくれてありがとう」「原発をとめてくれてありがとう」
能登半島地震のあと、珠洲市高屋にある浄土真宗大谷派の圓龍寺(えんりゅうじ)の住職・塚本眞如(まこと)の携帯電話に、全く知らない人からの伝言が入ってくる。

あそこに生まれて、つらい思いもありました。だけど、あらためてよその人から聞いて「ああ俺たちはそんなすごいことをやったんか」って思いますね。

原発立地計画から30年近く騒動が続いた末に、2003年に凍結となった。
電力需要の低迷もあったが、強い反対の民意が影響したと言われる。
その20年後の元旦、奥能登は最大震度7の地震に襲われた、あろうことか震源地は原発立地に適合すると目され、計画された高屋の山中だった。

「もしも原発ができていたら」
道路の寸断や海岸の隆起で避難路を断たれ孤立化した地域を原発から出た放射能が襲う複合災害の恐怖を、地元のみならず、全国の人々が思い浮かべた。
隠れるべき家屋も倒壊し防護するものもない中で住民は被爆し続ける。地元だけではない、放射能は雲に乗り名古屋や大阪など大都市を含む広い地域に流れ込む可能性もある。
だからこそ、高屋の人びとが、20年前に「原発をとめた」ことへの感謝と敬意が日本全国に広がった。

同時にそれは「やられっぱなし」と思われてきた日本の反原発運動にも」、成果をあげ、その結果が未来の安全につながった歴史があることを発見する瞬間でもあった。
人びとはそこに福島の原発事故後14年にして再び「原発回帰」しようとするこの国で、失いかけていた「希望」を見出したのだ。

以上は、第1章の冒頭文である。ここに本書が伝えたいことが凝縮されているように、筆者は思える。

珠洲の原発立地の場合、他と違い、過疎からの脱却のため地元から誘致に動いたところに特徴がある。原発の危険さも十分認識せず、ただ、原発によって、仕事を確保し、人口減少をとめ、町を発展させたいところから始まったと思われる。

1986年原発推進議員だけで成り立っていた珠洲市議会で原発誘致を全会一致で決議したときは最悪のタイミングだった。旧ソ連のチェルノブイリ原発が起きた直後だった。

この事故で、市民の間にも原発への不安が広がり、1989年の市長選挙では推進派が当選したものの、反原発を掲げた二人の候補者の合計は当選者を上回った。「保守の町」珠洲では異変ともいえる事態だった。

このあと強行された電力会社による「事前調査」は、反対市民の阻止行動によって行うことができなかった。

反対運動を支えた思想
珠洲の原発反対運動では能登で盛んな浄土真宗大谷派の僧侶たちの思想と活動が大きな支えとなっていた。

原発は人の命を差別することで動く

人間が不平等になるものに対し徹底的に闘っていくというのが、浄土真宗大谷派の教え。戦争についても兵器はいらないとお経にちゃんと書いてある」
人の命の「差別」を前提にする原発は教祖の教えにも浄土にも程遠く、絶対に許せない存在。

市民グループの女性からも差別を許さない言葉が
「電気はみんな向こうのほうへ送ってしまうんげやろ。そんないい電気なら、こんなとこ建てんでも東京湾でもどこでも建てるとこたくさんあるやろ。宮城のあそこいってたてればいいやねん、大内山にでも。 こんなとこに建てるとこ見ると、たとえ事故が起きて死んでも少ないとみとるんやね。田舎のもんを人間と見とらんがやね。本当に情けないです。」

そして、市議会で県議会で、原発反対の議員を増やしていった。

「珠洲の反原発運動の特徴?私は選挙を通じて政治に徹底的に踏み込んできた運動と答える」(北野進)
「ほとんどのメンバーが選挙についてはズブの素人だったが、原発を阻止しようという必死の思いで闘った反原発選挙であった。同時に『反原発』という枠を超えた地域の民主化運動であった。

1991年の石川県議会の選挙に、2議席を自民党が独占している中、北野進さんが立候補、「奇跡」の当選を果たした。北野さんが当選して3期12年にわたり、原発の立地に動く県や市の動きをけん制しつづけたことが、その後の「凍結」へ向かうことになる。

『誰も責めない。誰も孤立させない』 塚本眞如さんの信条
選挙戦では、他の立地のところでも見られる、実弾(現金)が飛び交い、無言電話から盗聴、脅迫電話、不審な郵便物、車の窓ガラスがわれるなど、ありとあらゆる嫌がらせが行われた。
これは反対派だけでなく推進派の住民も受けており、第三者が疑心暗鬼を募らせて「分断」を広げようとしていた。
塚本さんは「分断」を深めない智恵として「悪いのは電力会社や行政であって住民ではない」のだから「誰も個人を攻めてはいけない、孤立させてはいけない」と反対派の住民に伝えていた。
「排除」ではなく、「包摂(ほうせつ)」の精神こそ高屋の反対運動の基本となった。

連立与党との政策協定
原発を強力に推進した中西知事が死去した時、ちょうど自民党が分裂し、新生党、日本新党、新党さきがけが誕生した。このうち新生党と社会党、公明党、民社党が一緒に連立与党として知事候補に担いだのは副知事を務めていた谷本正憲さん。
原発について「地元の住民合意がなければ、強引にすすめることはできない」という政策協定をむすんだ。

谷本知事は約束をまもって、2003年電力3社の珠洲原発立地計画の「凍結」を引き出した。

ご紹介したいところは、まだまだありますが、あとはぜひ本書をご一読ください。

by kazu

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